6時にご飯を食べに下りると米原さんが出発するところだった。家に帰っているときは写経をされていると。心は四国に繋がっているんだと思った。
宿を出る時おばあちゃんに、「あんた若いけん、また会えるかもね。」と言われる。2回目か、今は考えられないな。今歩くことで精一杯だし。と思い、「おばあちゃんも長生きしてください。」と言って出発する。
道の駅大山でテントをたたんで出発準備中の小笠原さんと会う。そしてもう1人、山崎さん(27才男性所沢市)とも少し話をした。元気な人だった。
安芸市で国道から旧道に入り、歩道もきれいに整備されている商店街のベンチで休憩。正面にある小学校では運動会があるようで、マイクテストが繰り返されている。通りがかったの山崎さんに、この街は阪神タイガースのキャンプ地だと教えてもらった。そういえばのぼり旗が立っている。小学校のスピーカーからは好きな春畑道哉の音楽が流れていた。気分も高まり歩き出す。
国道に合流すると程なくサイクリングロードに入る。左手すぐそばに海を見ながら、波音を聞きながらの道。約14㎞。南国土佐。太平洋!夏!という感じ。こういう道を歩くと、すごく気持ちいいなー、この感じ好きだなー、自分に合ってるなーと思う。こんな感覚で生きていけたらと思う。
今日の海も青いし透き通っている。喉が渇くとこの水が飲めたらいいのになと思った。振り返ると遠くに室戸岬が見えた。前方には遥か彼方に足摺岬。こっちの方は遠すぎて、あそこまで歩くなんて実感が湧かない。
半ばに遍路休憩所があったので休んでいると山崎さんもやって来て休む。おにぎりとよく冷えたお茶とりんごと梨をいただいた。山崎さんは歩くのが2回目で、1回目は夜も歩いたりして33日で回ったと教えてくれた。それは速すぎる。しばらく休んでいろいろ話をした。暑いし、なにせ昨日にも増してマメが痛い。
暑いと喉は乾くし靴の中は蒸れる。だいたい1時間歩くと休憩して水分補給。昼間に2リットル、宿で1リットル、しばらくの間は少なくても日に3リットルは飲んだ。それから休むときは必ず靴下を脱いだ。風にあてるとスーっとして気持ちいい。マメを少しでも乾かしたかったし。とうとうマメは三重にできてしまって針が通らず、水が抜けなくなっている。ところが靴を脱いで指先を解放すると血がめぐるせいか、靴を履いて歩き出すと痛みが倍増した。でも地べたに座って「暑っちー!」とか言う感じ、たまらない。素になっていく気がした。
今日も途中で何人か声をかけられて話をした。よく出身地を聞かれるけど、意外に鳥取県に行ったことのある人は多い。砂丘が1番。中には「冬の境港に行ったけど、寒くていけんだった。」と言う人もいた。確かに冬の日本海側は寒い。高知とは真反対だよなと思った。
それから小さい子供がすれ違ったあと、一緒にいたおばあちゃんに「忍者?」と聞いていた。見慣れない格好で古風だし。お遍路さんは初めて見たのかも。
中には方言がきついのか早口なのか、聞き返しても最初から最後までわからないこともあった。そんな時は「ありがとうございまーす。失礼しまーす。」と言ってお別れした。なんとか雰囲気でコミュニケーションをとった。
〝道の駅やす〟で休憩。ここがまた良かった。広い芝生の向こうには海が臨める。家族連れやカップルがのんびりしていた。
徐々に海を離れて北上していく。だんだん風が強くなる。しかも向かい風。さらにゆるい登り坂。28番大日寺の手前1㎞に来たときはすっかり疲れていた。そこへ自転車に乗ったおばあちゃんが颯爽と現れた。近くのコンビニに連れていかれてジュースをお接待していただき、「精出してな。」と言い残し去って行った。ヒーローのようなおばあちゃんだった。
大日寺でしばらく休む。宿は寺の人にも聞いたけど近くにはない。遠回りになるけど、土佐山田駅前のビジネスホテルにする。ここから遍路道を外れさらに約5㎞は完全にペースダウン。汗でベタついた肌と夕方の生ぬるい風。遠い道のりだった。
ホテルのレストランで夕食をとる。ピラフと餃子。メニューを見ていたら、バター風味のピラフが無性に食べたくなった。ところが出てきたピラフは和風に見える。食べてみるとしょうゆベースの味付け。これはメニューの名前を焼き飯に変更すべきだ。おいしかったけど。
食後は近くの店で明日の朝食を買って、コインランドリーで洗濯。たまにはビジネスホテルで完全にひとりになって、ベッドで寝るのもいい。
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