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執筆者の写真四国ルート88

9月22日 5日目 約35km

玄関に行くとちょうどみんなと一緒になった。旅館のご主人が記念にと、一人ひとりポラロイドカメラで写真を撮ってくれた。

まずは井戸寺を参拝し、そしてひたすら県道を行く。途中で田中さんがテーピングを買いに薬局に入ったので、ついでに僕もカット判を買う。持ってきたのはマメに貼ってなくなるところだった。ここの店主のおじいちゃんにポケットティッシュをいただいた。「自分も回ったことがあるけど、40何番の岩屋寺って所は、ものすごい階段があるよ。」と教えてくれた。

徳島市の市街地を抜ける。不思議なことに四国だと白衣姿で街中を歩いていても違和感がない気がする。ここに暮らす人達には日常の景色なのかもなと思った。

 

黙々と歩いて勝浦川橋の辺りで、縁石に座って長めに休憩。休むと疲労感は楽になるけど、マメやら足の痛みの感覚が戻ってきてしまうので、歩き出しが非常にぎこちない。初めは引きずりながらで、そのうちだんだんと痛みも麻痺してきて普通に歩けるようになる。このギシギシした痛々しい歩き出しはこの先2週間引きずった。

 

18番恩山寺の手前で、先頭を行く田中さんと後続の奥村さんと僕の間がかなり開いてきたとき、遍路道は右の標識を見つけた。田中さんは気づかず直進。でも遍路道の方が近そうだし、田中さんとも合流出来ると思い右折する。

県道からはずれると静かで歩きやすい。民家の間を通るので突然犬に吠えられ驚くこともあるけど。ところが恩山寺の麓まで来たけど田中さんがいない。途中で待っているかも知れないので、奥村さんには先に上がって探してもらい、僕は県道を逆に戻ってみた。結局遍路道の分岐まで戻って1周してしまった。田中さんは後ろに2人がいないのに気付いて、戻って遍路道できたらしい。会えないはずだ。あの時奥村さんは遍路道、僕は直進して追いつけば良かった。余計に歩いた疲労感は大きく、恩山寺の境内でしばらく休憩。

 

19番の立江寺。奥村さんはここで区切りとなる。近くなってきたら田中さんと僕は先に行き、奥村さんはじっくりと歩いてくる。山門で入ってくる姿を撮ろうと待ちかまえ、そして到着。「おめでとー!」と迎えた。でもこの山門、実は裏門というか通用門だった。山門はもう少し奥。裏門だと気付いたのは納経を済ませてからだった。境内のベンチにおばあちゃんがいて、手作りのお守りをくれた。2色のビニール紐で編んだわらじ。5円玉が通してある。それから「歩いて四国をまわる人には、お大師さんから車でまわる30回分のおかげがあるよ。」と言われて感動した。

 

奥村さんとはここでお別れ。いつまでも境内でゆっくりしていたいけど、そうはいかない。信号が変わると僕らは橋を渡り鶴林寺の麓の民宿へ。奥村さんは駅の方へ。姿が建物で見えなくなるまで手を振った。一緒に頑張った分、辛かった。

 

田中さんと2人になって今夜の宿へ向かう。ここからが長い。もう4時半なのに、まだ13㎞くらいあるから到着は完全に遅くなる。実は一瞬タクシーでの移動も考えた。でも田中さんは歩くというので頑張ることにした。

傾きかけた太陽の光が、厚い雲の切れ間から差し込んできた。思わず声をあげてしまう程きれいだった。田中さんのペースは速く、痛ダルイ足で必死に付いていった。一人だったら絶対こんなに歩けない。途中飲み物を調達したり田中さんが民家に入って道を聞いてくれたりしながら、歩きに歩いて民宿金子やに着いたのは7時過ぎ。もう真っ暗だった。

 

遅くなった為か、民宿のおばちゃんは若干機嫌が悪そう。1日の予定の立て方がまだ上手く出来ないので申し訳ない。急いでお風呂と食事。とにかくおなかはペコペコだった。おかずのおでんには味がしっかり染み込んでいてすごく美味しかった。それから洗濯。田中さんの洗濯物とまとめて洗って乾燥機にかけると田中さんのは素材が違っていて速く乾いた。勉強になった。

部屋は3階で、食事や風呂にガクガクの足で上り下りするのはとても骨が折れた。部屋の中には蚊が数匹。探して捕まえる元気は残ってないし虫除けも持っていない。虫刺されのかゆみ止めスプレーを持っていたので、試しに部屋中スプレーしてみた。するとその後は不思議と静かになった。効果があったらしい。

今夜は指先に穴が開いてしまった靴下を縫って終了。明日は2回目の遍路ころがし。しっかり転がってやろう。



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