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執筆者の写真四国ルート88

9月20日 3日目 約23km

朝から雨。シトシト雨。今日は初めての“へんろころがし”がある。

 

準備を整え玄関に行くと、他の宿泊客はすでに出発したようで姿が見えない。早めに焼山寺に向かって行ったのだろう。僕もそっちに向かいたいのだけど、まずは10番切幡寺を目指すので反対の方向へ進む。

坂本屋にリュックを置かせてもらったので背中は軽い。頭陀袋しか持っていないので非常に身軽なはずだけど、333段の階段を上りきった頃にはすっかり汗まみれ。湿度が高く汗もじっとりとして、余計に疲労感が増してしまう。この階段は厄落としのご利益があるといわれているからか、隅には一段一段にお金が置かれていた。

一緒に歩いてきた奥村さんが財布を忘れていたので納経代を立て替えて支払い、坂本屋に戻る。荷物をまとめてリュックを背負い、その上からレインコートを着てファスナーを締めようとすると、どういうことか締まらない。サイズは3Lで余裕だったのに。思いのほか荷物がかさばっていたらしい。かなり焦った。奥村さんには先に出発してもらい、荷物を入れ替えたりしたけど、やっぱりだめ。仕方がないので諦めて外に出すことにした。どこまで防水がもつか。

 

吉野川の河川敷にある広大な畑を通り、長い吉野川に架かる川島橋を渡る。渡った所に小屋があったので荷物を下ろして休憩。ちょうど雨も上がったので、橋の途中で追いついた奥村さんと吉野川をバックに記念撮影。でも曇りになったのはこの短い間だけ。その後もずっとシトシト降り続いた。少し歩いたら商店があったので飲み物を調達して、店先でついでに休憩。

 

これから11番藤井寺に行き、さらにへんろころがしを越えて焼山寺まで行かないといけない。どのくらい歩けばどうなのかさっぱりわからないのだけど、とにかく行かなくてはとだけ思っていた。ガイドブックでは藤井寺から焼山寺までは、健脚で5時間と書いてあった。だからもう少し時間がかかったとしても、夕方には到着出来るはず。たぶん大丈夫。

 

藤井寺が近くなると若干勾配が出てくる。奥村さんは道をジグザグに歩いたりしている。なんとなくお互いがそれぞれのペースになり、藤井寺には先に到着した。

境内でお参りに来ていた中年の女性と話をした。以前は一本杉庵の麓で民宿をされていて、焼山寺までたどり着けなかったお遍路さんがよく泊まりに来ていたそうです。別れ際に1000円ものお接待をいただいた。高額な現金のお接待に驚いた。納め札をお渡ししようとガサゴソしていたら「いいよいいよ。」と言いながら行ってしまった。頭陀袋はレインコートの中にあってすぐに出せない。「ちょっと待ってもらえますか。」と一言言えば良かったと後悔した。

 

ここからへんろころがし。11時に藤井寺を出て焼山寺に着いたのは17時。これから6時間山の中を歩く。

奥村さんとは別々に登山口へ向かい登り始める。初めての山道は本当にきつかった。狭い道には雨が川の様になって流れてくるし、岩肌は苔で滑る。笹やシダの葉が道にはみ出していて、膝から下がどんどん濡れてくる。初めのうちは杖でよけていたけど、だんだんとどうでもよくなってくる。レインコートのズボンもあるけど、今さら出して履くのも面倒で雨に降られるがままの状態。汗でTシャツがべっとり濡れて気持ち悪いと思ったのは最初だけ。そんなことを気にする余裕もなくなった。

 

最初のお堂がある長戸庵までは登り。藤井寺からは3㎞ちょっとだけどその途中で疲労はすでにピーク。始めのうちは遠くの景色が見えると、結構登ったなぁと感動していた。でもそのうちに事実として高さを認識するだけになる。道には沢ガニやミミズ、ムカデに蛇なんかがいた。余裕がある時は、“あ、沢ガニがいるんだ。”とか“なんだこのミミズ、でかいな。気持ちワル。”なんて思っていたけど、だんだん驚かなくなり無反応になった。頭の中で言葉にもならないというか。

 

長戸庵では軒下も足下まで水溜まりが迫っているので、ほとんど立ったまま休む。それでも雨にあたらないだけで体力は回復する。ここで出会った男性は「こんなに自分が歩けないとは思いませんでした。」と言っていた。確かにキツ過ぎる。でもまだ3分の1、先は長い。

 

長戸庵を出た辺りで遠くに雲海を見た。ここはさすがに感動した。でもあっという間に山の中に入ってしまい、辺り全体が霧に包まれていく。

 

少し先にある木々は白く霞んでよく見えない。それにもう肩が痛くてたまらない。荷物を下ろせる場所が欲しいけど、視界の全てが濡れているからリュックを置くどころか腰をおろすこともできない。だから杖にすがりながら立って休むしかない。これは辛い。本当に辛い。足を止める度、額から地面にポタポタ落ちる汗を何度も拭う。タオルで顔を拭くと、微かに洗濯洗剤の匂いがした。こんな少しの匂いでも気分転換が出来るほどだった。

だんだんと無色無風の景色になっていく。自分以外は全てが止まっている。ただ菅笠があって助かったとつくづく思った。雨も避けられるし何より両手が空く。

 

登りに登って山頂かと思ったら一気に下る。さすが遍路ころがし。一気に下った所にある柳水庵という接待所でお接待を受けた。今は閉鎖中だけど、たまたま掃除をしに遠くから来ていたと聞いた。冷えた体には熱いお茶が一番。

 

さらに進むと一本杉庵というお堂があり、その手前には山壁にへばり付くようなコンクリートの階段がある。しかも段差が大きくて太股に力が入らない。一段一段息を整えながら上る。階段の奥で迎えてくれたのは大師像。大きい。上って来る遍路を見ているのか、こんな山の中ではさらに迫力を感じる。

奥のお堂の軒下で立ったまま煙草を吸う。雨の中、霧に包まれての一服もいい。でもすぐに体が冷えるので長くは休めない。

 

また一気に下る。小さい集落を抜けるとまた登り。足が全く進まなくなり、わずか20㎝程の段差も、右と左どっちの足を出そうか、どっちが楽かと考えるほど足が重い。ちくしょー。何で雨なんだよ。だるいなー。などと愚痴をこぼしながらも、視界の悪い道の先を見つめ、とりあえずあそこまで行こうと励ましながら歩いた。

残り1㎞になって力無く歩いていたら奥村さんが追いついて来た。そういえば宿は焼山寺の3㎞先だと言っていた。5時まであと5分。間に合うかも!一緒に早歩き。5時で納経所が閉まったら、奥村さんは明日納経をしに戻って来ないといけない。それは時間的にもロスだし、精神的にもキツイ。だからここで納経をしてしまわないと。やがて奥村さんはエネルギー切れで遅れだした。

力を振り絞って歩く。参道の途中で5時の鐘。ヤバイ!もう間に合わない。やっと山門が見えたと思ったら、その先には見上げる程の石段がある。嘘だろ、もう駄目だ。太股は痙攣してプルプル状態。つりそうになりながらも山門をくぐった。納経所が見えるとまだ参拝者がいた。どうやら間に合った。納経所に着いてあいさつしようと思ったら声が出ない。しばらく息を整えてから荷物を下ろしたところで、奥村さんの姿が見えた。OKだよと手で合図する。

 

僕はここの宿坊に泊まるので、少しだけ立ち話をした。奥村さんは到着してからずっと泣いていた。山の中でも怖さと不安で泣いていたと教えてくれた。途中お堂で休んでいるとき、奥村さんの杖に付いている鈴の音が聞こえると、無事に来ていると思い安心した。少し待って奥村さんの姿を確認すると、一言二言話してから出発した。今日の僕には同じペースで歩く余裕は全くなかったけど、おかげで孤独ではなかった。明日も頑張りましょうと握手をして別れた。

 

昨日といい今日といい、こうもギリギリだと身がもたない。自分が考えていたよりペースがかなり遅い。予約しておいた明日の宿、徳島駅の先までは絶対に無理。キャンセルして明日考えよう。

夕食は6時半からだと言われ、急いでお風呂に入る。そして今夜は精進料理。とてもおいしかったしボリュームもあった。

食後は洗濯物の他に白衣やジーンズを壁に掛けて扇風機で乾かす。頭陀袋や財布の中身も全部だして畳に広げた。リュックも水を吸ってグッショリ。重たいはずだ。防水は効かなかったらしい。たぶん乾かないだろうなぁ、と思いながら眺める。

それと、メチャクチャハードな1日だったのに意外に疲労していなかった。達成感で満たされていたのだと思う。今夜の宿泊客は僕1人だけ。朝のお勤めはなし。



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