日に日に緊張していく。
四国に行けば何とかなるだろう、と思いつつも不安と緊張が増していく。
この緊張感、久々で新鮮だなんていうのは強がりで、出来れば感じたくない。だから、こんなことしなくても、もうしばらく休めば元気になるだろうし、仕事にも就くだろうから必要ないのではないか。もっと言えば、別にこのままでもいいやと、どんどん弱気になってしまう。やっぱりやめようかなと。
歩くための靴を選んだりしていた時は、なんだか楽しみになってきていた。靴に慣れるために30kmくらい歩いてみたり、近くにある標高1709mの大山を登山してみたり。ネットで体験談を見つけては読み、ガイドブックを何度も読んではイメージもしてきた。
それに、これが出来れば人生変わるかも知れないと希望を持つ気持ちと、こんな風にいつまでも休んでいられない、この生活もお終りにしないといけない、と切羽詰まった気持ちもあり、ここまで来たら行くしかないこともわかっていた。
週間天気予報を観ながら、出発は9月18日にしようと決めた。
ところがだ。雨が降ったり、風邪を引いたり、道に迷ったら、ちゃんと歩けるのか?宿には間違いなく泊まれるのか?洗濯はちゃんと出来る?着替えは足りる?持ち物リストに漏れはないか?現金は足らなくならないか?(口座のある)郵便局は見つけられるか?爪切りは?カットバンは?頭痛薬はどのくらい持てば?ポケットティッシュは途中で買えばいい?昼ごはんは大丈夫?それよりまずはちゃんと電車を乗り換えて坂東駅まで行けるのか?細かいことまで、考え出すとキリがない。
荷物を何度も確認した。自分はこんなに神経質だったのか?と思うほど。気が小さいなぁと、余計なことで落ち込んでしまう。なるべく楽観的に考えたいけど、なかなか出来ない。
以前高知に遊びに行ったことがある。その時お遍路さんを見かけた。というか、その時はお遍路さんという認識がなかった。歩いて四国をまわる人という程度で全く興味も湧かなかった。どちらかと言えば、どうしてわざわざ歩くんだと思った。すごいなとは思ったけどそれ以上は何も。だからその時たまたま24番最御崎寺に寄った時も、札所であることに特別な想いもなく、売店だと思って入った納経所で順番に並んでいる人達を見て、何のために並んでいるのかわからなかった。
あれから2年後、自分がそこに行き遍路になろうとしている。
当日の朝。車の助手席に座り、荷物を膝の上に乗せるとズシリと重たい。こんな荷物背負って歩くのかと思うと気分まで重くなる。
米子駅に向かいながら窓の外を眺めていると、見慣れた景色が目に入ってくる。通勤通学の車と自転車。自分も10ヶ月前まではこの時間に出勤していたし、それが普通だった。ところが今日からは四国に行く。何をしているのだろうという沈んだ気持ちにもなるし、同時にひたすら歩く旅に挑戦するんだという勇気も静かに湧いてくる。
駅に着き車を降りる。相当心配しているはずの母に、一度だけ振り向いて手を振り、駅舎に入った。切符を購入し改札を抜けてホームに立つ。切符を眺めると、間違いなく行き先が“板東駅”と書いてある。行くことが確定したんだと実感した。いよいよ戻れなくなった。改札口を通った以上もう電車に乗るしかない。覚悟しないと、と思いながら空を、というかどこか遠くを眺めながら四国の景色を漠然と思い描いていた。
やがて電車が動き出し、米子市の街並みを速度を増しながら後ろへと追いやっていく。少し進むと右手に陸上競技場が見えてきて、脇を通って行った。高校生の頃毎日ひたすらがむしゃらに走った場所。あれからの自分はなんだったのだろう。
1200kmの遍路旅。
30才ですべてが駄目になった。体はあちこちから悲鳴を上げ、うつ状態にもなった。 多くのものを失ってから10ヵ月。何かを取り戻すためか、新しく何かをつかむためか。歩くことで得られる何かに望みを懸けて出発する。
窓の景色がどんどん変わっていく。足は微かに震えているけど、だんだんと気持ちは旅モード、冒険モードになっていく。きっとこの先には経験したことのない世界が待っている。
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